真理96
2024-08-16
皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「ペテロの第1の手紙」の次は「ペテロの第2の手紙」です。ペテロは処刑されることを前もって知っていたようです。「わたしがこの幕屋にいる間、あなたがたに思い起させて、奮い立たせることが適当と思う。」(ペテロ第二1章13節)にあるように会衆である幕屋にいられる時間があまりないと理解していたのでしょう。ですから、第一の手紙で十分に伝えられなかったことを第二の手紙で補ったと思われます。
「わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。」(ペテロ第二3章15節)にあるように、パウロを愛しており、パウロの手紙もペテロは是認していたことが分かります。
「イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けになったが、その時、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかったのである、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』」(ペテロ第二1章17節)とイエス・キリストが変貌した時の目撃証人であることを証します。これは使徒ペテロでなければ語れない言葉です。
「しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。」(ペテロ第二2章1節)とあるように、過去の時代にも偽預言者がいました。そして1世紀にもクリスチャンの間から偽教師が現れると預言しているのです。すでに1世紀から偽教師が会衆の中に現れたようです。そして、このように言ったのかもしれません。「『主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない』と言うであろう。」(ペテロ第二3章4節)確かにイエス・キリストが蘇ってから2000年が経とうとしています。ですから、神の救いの日が遅れていると感じるかもしれません。でも「 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。」(ぺテロ第二3章8節)とあるように詩編90編4節を引用しました。「あなたにとって1000年は、過ぎ去った1日のようであり、夜のひとときのようです。」
ですから、神にとって、主の来臨は遅れているわけではありません。誰も滅ぼされないように神が忍耐しているのです。
最後にペテロはこのように語ります。「わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。」(ペテロ第二3章13節)とイザヤ書65章17節を引用しています。「私は新しい天と新しい地を創造している。以前の事柄は思い出されることも、心に浮かぶこともない。」とあるのです。
これらの希望はクリスチャンが待ち望み、誰もが望んでいることではないでしょうか?以前に犯した罪の数々が、新しい天と地では思い出されることも、心に浮かぶこともないのです。
それこそ、罪がなくなって自由にされた状態でしょう。つまり、新しい天と新しい地とは新しい楽園、新しい王国なのです。