主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 真理95

2024-08-15

皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「ヤコブ書」の次は「ペテロの第1の手紙」です。筆者は使徒ペテロです。離散し寄留している御霊の清めに預かっている人々に書いたようです。パウロの手紙もペテロの手紙も公開書簡で、各地で写本されて、会衆で読まれたはずです。イエス・キリストが処刑されてから30年ほどだと思いますが、バビロンからポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤおよびビテニヤに送ったようです。
内容は、長年使徒として活動してきたペテロがクリスチャンに理解してもらいたい真理を告げています。「キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが、この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである。」(ペテロ第一1章20節)にあるように、霊者としてのキリストは天地が造られる前から知られていたのです。そして終わりの時に、地上に現れたことが書かれています。つまり、キリストは天において知られていた霊者であったが、1世紀の時代である終わりの時に地上に降臨し、人々の間で人として現れたということです。
そして、詩編118編22節を引用して「建築者たちの退けた石が主要な隅石となった」というイエスご自身が自分にあてはめた聖句を紹介しています。ペテロはイエス・キリストの言葉を忘れていませんでした。さらに、「あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。」とマラキ3章17節を引用して、神の民として人々に神の御業を語り伝えるように勧めています。
次にノアの時代に言及し、箱船に乗ったわずか8人が水の中を通って救われたことを思い出させます。そして、「この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。」(ペテロ第一3章21節)と書いています。
つまり、ノアの時代のように、その時の1世紀も終わりの時と見ることができるようです。そして神の指示に従って箱船に乗った8人は水を経て助かりました。同じようにバプテスマは水を象徴していて、神の指示に従うことで救われることになります。イエス・キリストは死のバプテスマを受けたわけですが、3日後によみがえりました。つまり、イエス・キリストが復活した事とは、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることなのです。
バプテスマは、このように水の滅びを通過して生き残ることを象徴していたわけです。生き残ることによって、神に良心を願い求めることなのです。
生きている間は、常に神に良心を願い求め続けるのがふさわしい事ということでしょう。
そうしていれば、神も喜ばれるはずです。