主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 真理94

2024-08-13

皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「へブル人への手紙」の次は「ヤコブ書」です。イエス・キリストの異父兄弟であるヤコブが書いたようです。聖書には多くのヤコブという名があります。使徒であるヨハネの兄弟もヤコブですし、アルパヨの子もヤコブです。文章からすると、自らを「イエス・キリストの奴隷」と言っていること、イエス・キリストの異父兄弟のユダについても「イエス・キリストの奴隷で、ヤコブの兄弟であるユダ」(ユダ1節)と同じようにユダは書いています。このように、ヤコブとユダはイエス・キリストの異父兄弟であるとわかります。「マリアの息子,またヤコブ,ヨセフ,ユダ,シモンの兄ではないか」とマルコ6章3節にあるようにヤコブとユダが兄弟であるとわかります。
「あなたがたのうち、だれかが、『安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい』と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。」 (ヤコブ2章16,17節)とあるように、信仰には必ず行動が伴うものであるので、その行動によって信仰が明らかになるということです。この部分は誤解されることが多いのですが、ヤコブは律法の教えを守るようには言っていません。律法の活動ではなく、クリスチャンの活動は信仰によってなされるものであることを強調したに過ぎません。
「兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。見よ、農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。」(ヤコブ1章7節)とあるように、離散している12部族のクリスチャンに忍耐を求めています。イエス・キリストの来臨はまだ、将来のことでした。ヤコブは、農夫が地の実りを待つように辛抱することを勧めています。
「わたしの兄弟たちよ。何はともあれ、誓いをしてはならない。天をさしても、地をさしても、あるいは、そのほかのどんな誓いによっても、いっさい誓ってはならない。むしろ、「しかり」を「しかり」とし、「否」を「否」としなさい。そうしないと、あなたがたは、さばきを受けることになる。」とヤコブ5章12節にあります。クリスチャンは誓いをしないように言っています。なぜなら、人間は誓っても達成できるわけではなく、何かを達成できたとしたら、それは神の恵みによるものだからです。それで、クリスチャンは、ただ、自分の言っていることが「はい」は「はい」を意味するようにして、「いいえ」は「いいえ」を意味するようにしなければならないのです。それ以上のことを口走るのは自分の立場を十分に理解していないことになります。きっと、事実と違うことを話してしまい、それは嘘をつくことになります。神は偽りを憎みますので、その嘘について裁きを受けることになるのです。
「ヤコブ書」は短い聖典ですが、わかりやすく、多くの例えを用いて神の真理を伝えています。イエス・キリストの異父兄弟なので、イエスの話し方を身近に知っていた者なので、手紙にも、そのイエスの語られたことをコンパクトにまとめたように思います。「主の御心であれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」(ヤコブ4章15節)と思います。