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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 真理93

2024-08-10

皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「ピレモンへの手紙」の次は「へブル人への手紙」です。内容からして著者はパウロと思われます。パウロ自身がへブル人で律法を学んできたので、詳しい律法の理解により、それがイエス・キリストに焦点を集めるものであったと証します。パウロでないと解説できないような事柄を旧約聖書からひもとき、それがイエス・キリストに当てはまることを証明しているのです。
「神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。」とへブル人への手紙の4章12,13節にあります。
神の言は聖書のことです。そしてその言葉により、我々の心と志は丸裸にされてしまいます。神の目は常に我々を見守っています。我々はその行動について、いずれ神に言い開きをすることになるのでしょう。
「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」とへブル人11章1節にあります。信仰の定義のようなものですが、我々が希望している事柄が、神によって実現することを確信していることです。それはまだ実際に起きていないので目には見えませんが、そうなることを証明できることです。
それについて、パウロは多くの証人を列挙します。まずアベルから始まり、ノア、アブラハム、サラ、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデ、サムエル等の預言者の活動です。神は目に見えませんが、人々に働きかけてきました。それに答えた人々の歴史が旧約聖書に一杯詰まっています。もし、神がいなければ、これらの多くの人々は何を信じていたというのでしょう。
パウロはさらに新しい契約が、イエス・キリストによってもたらされたことを証します。
「キリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。」(へブル8章6節)とあるように、律法下では自らの罪や民の罪の許しのために、動物の犠牲の血によって清められるという儀式を毎年していました。しかし、イエス・キリストは自らの完全な命を犠牲として一度限り神に差し出したことにより、人類すべての罪を拭い去ったのです。
ですから、イエス・キリストによる新しい契約は、過去のへブル人が行っていた古い契約を廃止したことになります。
このように、「へブル人への手紙」はもともと律法を知っているへブル人に向けて、クリスチャンは過去の律法を頑なに守るのではなく、律法から自由にしてくれたイエス・キリストに信仰をもつように勧めているのです。かなり固い内容ですが、パウロはこれまでの経験を縦横に駆使して、へブル人に神の約束を分かってもらいたかったようです。