真理92
2024-08-09
皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「テトスへの手紙」の次は「ピレモンへの手紙」です。たった1章の短い聖典です。パウロからピレモンへの手紙です。これは、とても私的な手紙ではありますが、真理が詰め込まれています。パウロのもとにオネシモというクリスチャンがいたのですが、このオネシモはもともとピレモンの奴隷だったようです。それで、パウロはオネシモをピレモンのもとに戻すことにして、この手紙を添えたのです。
それで、ピレモンもクリスチャンでしたから、パウロの提案を受け入れたと思われます。その内容は「兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。」(ピレモン9節)とあるように、ピレモンを兄弟と呼んでいます。そしてピレモンの愛によって喜び慰めを得たと書いています。当時、パウロは囚人でしたから、困りごとがあったはずです。それに対してピレモンは何らかの愛情行動をとったようです。このように1世紀当時はクリスチャン同士で互いに励ましあっていたのでしょう。
パウロはピレモンにお願いします。自分はすでに老年になったが、「わたしの子供オネシモ」を「わたし同様に彼を受け入れてほしい」と言っているのです。オネシモはピレモンの奴隷でしたが、逃げ出していたようです。それで、パウロは奴隷の主人であるピレモンに戻す決定をしたのです。それで、オネシモもクリスチャンでしたから、ピレモンにはパウロと同様に接してほしかったのです。
さらに、奴隷としての負債に関しても、パウロが支払うとまで言っています。パウロのオネシモへの愛情が伝わります。そしてピレモンにも感謝の言葉が述べられています。
「ピレモンの手紙」には、奴隷制度があった状況のなかで、奴隷であれば主人に仕えるのは当たり前のことだったはずです。でも主人も奴隷もクリスチャンであれば、ひどい扱いはしないと思われます。「奴隷以上のもの、愛する兄弟」(ピレモン16節)として接したと思われます。
パウロは囚人でしたが。これはユダヤ人が偽りの訴えで囚人にさせられただけであり、無実の罪でした。この状況はイエス・キリストと同様でした。それでもパウロはこのような状況においても時間を無駄にしませんでした。多くの手紙を各地のクリスチャンに送ったのです。
この手紙も、そのような手紙の一つです。そして興味深い表現をパウロはしています。
「今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロ」(ピレモン9節)と言っているのです。自分が囚人となっているのは、キリスト・イエスの囚人となっているからだと説明しています。キリストに何もかも捕らえられていることを表したのでしょう。身も心もキリストに従うことを決心していたので、周りの状況が変わっても動じなかったことが分かります。パウロは、私的な手紙だったので、自分の状況を少しユーモアを交えて「キリスト・イエスの囚人」と伝えたのかもしれません。