真理91
2024-08-08
皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「テモテ第2の手紙」の次は「テトスへの手紙」です。ニコポリスにいるパウロからクレタにいるテトスへの手紙です。内容はテモテへの手紙と似ている部分があります。
まず、「信仰を同じうするわたしの真実の子テトスへ。」と語りかけます。当然、実子ではなく信仰における親子関係ということです。そしてクレタ人にはある特徴があったようです。
「クレタ人は、いつもうそつき、たちの悪いけもの、なまけ者の食いしんぼう」(テトス1章12節)とあるように、性格的に問題があったのかもしれません。そんなクレタ島での伝道をテトスに任せたのですから、パウロも心配だったのでしょう。
テトスの仕事はさらに「町々に長老を立ててもらうためにほかならない。」(テトス1章5節)とあるように、町々に監督者である長老を立てることでした。その頃、クレタ島には町々に信者がいて、それぞれの会衆の監督者を置く必要があったのでしょう。
これは、テトスにとっても厄介な仕事だったかもしれません。監督者を任命するのですから、それなりの権威を持つ必要があったからです。
それで、パウロはこのように命じます。「長老は、責められる点がなく、ひとりの妻の夫であって、その子たちも不品行のうわさをたてられず、親不孝をしない信者でなくてはならない。監督たる者は、神に仕える者として、責められる点がなく、わがままでなく、軽々しく怒らず、酒を好まず、乱暴でなく、利をむさぼらず、かえって、旅人をもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、信仰深く、自制する者であり、教にかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。それは、彼が健全な教によって人をさとし、また、反対者の誤りを指摘することができるためである。」(テトス1章6~9節)
これは、かなり厳しい基準です。でも、それぐらいの高い基準を保つことでクレタの人々から注目されたことでしょう。そしてテトス自身もそのような基準を持っている必要があったはずです。
でも、パウロは続けます。「わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。」(テトス3章3~5節)とあるように、かつては自分たちもそうであったが、神のあわれみで救われていると書いています。その救いは、自分たちを再生してくれる聖霊によるとあるのです。
それで、だれでも完全な生き方はできないかもしれませんが、神に頼り、神からの聖霊の助けによって救われるのだと思います。
パウロもテトスもそうだったのかもしれません。人生のすべては神からの慈悲と博愛を理解して願えば、そのような聖霊の援助があるでしょう。