主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 真理86

2024-08-01

皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「ピリピ人への手紙」の次は「コロサイ人への手紙」です。これも、ローマで囚われているパウロが書きました。コロサイの人々はエペフラスから学んだようです。ですからパウロは直接コロサイ人に伝道したわけではなかったかもしれません。それでもパウロはコロサイ人に神の言葉を伝えたくて手紙を書いたのです。
「わたしたちも絶えずあなたがたのために祈り求めているのは、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。」(コロサイ1章9,10節)とあるように遠くローマからパウロはコロサイ人に進歩していくことを祈っていたのです。信仰というのは一度信じれば良いものではなく、その信仰によって良い業を行い、結果が表れ、さらに知識を増し加えることなのです。
そして、イエス・キリストである御子について「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。」(コロサイ1章15節)とあるように神は目に見えませんが、イエス・キリストは神のかたちとして地上に来られたわけです。そして神が最初に創造した方であり、その後にあらゆるものが創造されたのです。
「あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。」(コロサイ3章12~14節)とあるように、お互いに許すこと、愛することを述べました。特に愛を加えることで、人々を結び合わすことができると言っています。
本当にそうです。愛があれば、人を許すこともできます。憐みの情も持ちます、謙遜にすることもできます。柔和で寛容さを持つこともできます。これらの特質は本当に愛がなければ表すことが難しいでしょう。
現代社会は競争社会です。落ちこぼれないように皆が必死になって戦っています。しかし、その競争社会で勝ち取るものは何なのでしょうか?どんなにお金を持っていても、体を壊してしまっては、動くこともできなくなるかもしれません。豪勢な生活を手に入れても精神疾患に罹ってしまっては、楽しむこともできないでしょう。そして長時間を仕事に費やしてしまったら、家族との団らんも経験できないでしょう。愛がなければ人との交流も損得勘定で付き合うだけのものになります。得にならないと思われたら交流もなくなります。
多分、キリストの御国というのは、愛の国でしょう。多分お金はないでしょう。差別もないでしょう。自由があるでしょう。お互いが愛し許しあっているでしょう。それを目指してパウロも精力的に働きました。そのような希望があれば、今の間違った世界でも生きていけると思います。