真理85
2024-07-31
皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「エペソ人への手紙」の次は「ピリピ人への手紙」です。一度訪問したピリピの人々にローマで囚われているパウロから挨拶を送りました。囚われと言ってもパウロはローマの市民権を持っていましたし、重罪人というわけではなかったので軟禁状態だったのかもしれません。それで、ピリピ人に手紙を書いたのです。ピリピから来ていたエパフロデトは死ぬほどの病に罹ったようです。それで、エパフロデトが回復したことを知らせたくて、本人とテモテを送るようにしました。当時の通信手段は手紙を船とかで誰かに託すしか方法がなかったのです。ですから、お互いの近況を知るのは手紙でしか知ることができません。そのなかで、パウロが文書として残したかったことがあります。
「キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。」(ピリピ3章8,9節)
これは、自分がへブル人でパリサイ人で律法の義についても落ち度がないという自分の誇るべき事柄をゴミと思っているのです。律法による義ではなく、キリストを信じる信仰による義が重要なのだと言っています。そのような信仰は神からも義とされ、キリストと結ばれるようになるためです。
パウロの信仰は、まったくぶれていません。多くの手紙を書いていますが、確かに神からの聖なる力によって書かれたのでしょう。ですから、その主張が変わることはありませんでした。自分としては、できることを精一杯行っていることを証明しています。それは会衆の人々を心から愛しているので、自分としてはその土地にいないかもしれないが、手紙の力で、そこにパウロがいて話しているように記述しています。原本は失われていますが、写本として会衆で大切に保管されたはずです。そして、何度も読み返して、パウロを通して語られた神の言葉を守るようにしたはずです。
エパフロデトもキリストの活動で死にそうになったようです。そのように、キリスト教は迫害に遭いながらも、各地でその信仰の輪は広がってゆきました。多くの困難がありましたが、異邦人もキリストに信仰をもつようになりました。そこに真理があったからです。誰でも真実を求めます。誰でも自由を求めます。誰でも平和を求めます。誰でも愛を求めます。
パウロは、そうした求めることの解決策がキリストによってもたらされると伝えたのです。
最後にパウロはこのように言います。「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」(ピリピ4章6,7節)とあるように、神に祈願すれば、神がキリストに命じて守ってくれるのです。