真理82
2024-07-26
皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「コリント人への第1の手紙」の次は「コリント人への第2の手紙」です。筆者はパウロです。コリントの会衆に行きたいと希望しながら行けなかったパウロはテトスを遣わします。そのテトスからの報告でパウロは慰められたようです。そのことを伝えたくて第2の手紙を書きました。実際にコリントの人々と会ったときに厳しい態度で対処しなくてよいように、あらかじめパウロの心配していることを書いたのです。
「こういうわけで、わたしたちは慰められたのである。これらの慰めの上にテトスの喜びが加わって、わたしたちはなおいっそう喜んだ。彼があなたがた一同によって安心させられたからである。」(コリント第2の7章13節)とあるようにパウロはコリントの人々が第1の手紙で真剣に調整を受け入れた様子で慰められました。パウロは本当にコリントの人々を愛していたのです。
「わたしは、手紙であなたがたをおどしているのだと、思われたくはない。 人は言う、『彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない』」(コリント第2の10章9,10節)とあるように、パウロの外見は弱々しい人に見られたようです。そして話もあまり面白くなかったようです。パウロの場合はその手紙を書く時に神の聖なる力が働いたのでしょう。ですからパウロの手紙が新約聖書の聖典として認められたのは、その中身が本当に神の真理を伝えているからでしょう。
「わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。」とコリント第2の11章23~27節にあります。
普通だったら、このような仕打ちがあれば止めたくなるのも当然でしょう。それでもパウロはイエスからの幻と癒しを受けていたので、自分の命は主イエス・キリストと共にあることを理解していました。ですから、このような不当な扱いを受け、苦難の連続であっても、決してこの道から外れることはありませんでした。
現代において、御国の良い便りを伝えたことで裁判になることは民主主義社会ではないでしょう。しかし、共産主義や独裁主義の国では、そのような宗教活動を禁じる国もあるようです。
民主主義の国でも、今後どうなるかはわかりません。人は目に見えないものは信じることが難しいからです。でも、「目に見えないものは永遠なのです。」(テモテ第1の1章17節)