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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 真理68

2024-06-24
皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「ヨナ書」の次は「ミカ書」です。ミカはイザヤと同時期の預言者です。似ている部分としてミカ4章3節の「彼らは剣をすきに、やりを鎌に作り替える。国は国に向かって剣を振り上げず、彼らはもはや戦いを学ばない。」はイザヤ2章4節の「彼らは剣をすきに、やりを鎌に作り替える。国は国に向かって剣を振り上げず、彼らはもはや戦いを学ばない。」とほぼ同じです。しかし、「ミカ書」にはイエス・キリストに関連する預言があるのです。
「ベツレヘム・エフラタよ、ユダの氏族たちの中で最も小さいあなたから、私のためにイスラエルで統治者になる者が出る。」(ミカ5章2節)とあるのですが、これがマタイ伝の2章4~6節に「王は民の祭司長と律法学者たち全員を集めると、キリストがどこで生まれることになっているのかを尋ねた。 その人たちは答えた。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダのベツレヘムよ,あなたは決してユダの統治者たちの間で最も取るに足りない町ではない。統治する者があなたから出て、私の民イスラエルの牧者となるからである。』」とあるのです。
1世紀の祭司長や律法学者たちはミカの預言を知っていたのです。そして神が地上に統治者を生み出すことを知っていました。残念ですが、それらの者たちは知っていても行動には移さなかったようです。多分、自分たちの地位が、キリストに奪われることを恐れたのでしょう。神の取り決めより、自分の権益を優先したようです。
700年も前に預言された事柄が、1世紀に成就しました。これも驚くべき神の御業でしょう。
「ミカ書」には大切な神からのメッセージがあります。それは「ヤハウェがあなたに求めていることは何か。ただ公正を守り、揺るぎない愛を抱き、慎みを持って神と共に歩むことである。」(ミカ6章8節)とあるように本当に単純なことしか求めていません。誰でも公正な裁きを希望します。誰でも変わらない愛を求めています。そして謙虚に神が自分よりも高い基準を持っていることを意識することです。
それは、普段の生活の中で実践されるべき事柄でした。実際には「不正なはかりとごまかしの石重りの袋を持ちながら、道徳的に清いといえるか。」(ミカ6章11節)というような状況があったようです。これでは、神の基準を満たしているとは思えません。
ですから、我々も日々の生活で、公正にしているか?愛情深くしているか?謙虚に神を認めているか?と振り返ることが必要だと思われます。
私も、日々の生活が忙しくなると、そうした行動が取れていないことに気づきます。気づいたらすぐに、行動を変えることが必要です。一瞬の間に今は過ぎ去ります。変えられるのは今からの行動だけです。自分の未来を輝かしいものにしたいなら、今、行動変容をすることではないでしょうか?ミカ7章18節には「あなたのような神がいるでしょうか。あなたは過ちを許し、違反を見過ごす方。いつまでも怒りを抱き続けることはない。」とあります。過ちを許されれば、心は自由になるでしょう。