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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 真理66

2024-06-18

皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「アモス書」の次は「オバデヤ書」です。オバデヤ書は1章だけの短い預言書です。それでも内容は他の預言書に共通している部分もあって、主にエドムの滅びを伝えています。エドムはその昔、ヤコブの兄弟のエサウが住んでいた場所です。ヤコブとエサウは家督相続で問題を起こしていました。双子だったのですが、兄がエサウで弟がヤゴブでした。エサウは食べ物と引き換えに家督の権利を弟に譲りました。その後、父親から祝福されたのはヤコブでした。ヤコブのまたの名前がイスラエルです。このことが創世記の27章1~41節
に書かれています。
こうした、兄弟間の争いは昔も今もあります。家督相続となれば、さらに激しい競争が行われ、ひどい場合は殺人まで行われるのです。ヤコブとエサウの争いも殺人にまでは至りませんでしたが、こうした恨みは代々続くようです。それで、エドムの滅びですが、神から見るといくつかの過ちをしたようです。
「あなたは心のうぬぼれにより、欺かれた。大岩を隠れがとし、高い所に住んでいる者、『誰が私を地面に引きずり下ろせるだろうか』と心の中で言う者よ。」(オバデヤ3節)とあるように高慢になって神の教えに従わなかったようです。さらに10節では「あなたは兄弟ヤコブに加えた暴力のゆえに恥で覆われる。あなたは永久に消え去る。」とあるように兄弟であるヤコブへの暴力があったようです。もちろん時代が違いますので、ヤコブの子孫とエサウの子孫との間で行なわれたのでしょう。12節では「あなたは、あなたの兄弟が不幸に見舞われる日に満足げに眺めるべきではない。ユダの民が滅びていく日に喜ぶべきではない。彼らの苦難の日に威張って話すべきではない。」とあります。多分エサウの子孫はヤコブの子孫が苦難にあっているときや、ヤコブの子孫が滅びていくときに、満足して威張るようなことをしたようです。もともとは同じ父親からの子孫同士でも、かつての古い時代の不満を思い出していたのかもしれません。
人類も、皆一組の親から生まれたはずです。そうであれば、何故お互いに不満を言い合ったり、過去の諍いを思い出して不平を言う必要があるのでしょうか?お互いに不完全な人間同士です。お互いの弱さを担いあうのが人間愛ではないでしょうか?そのようにすれば、お互いに競い合うこともなく、不満を募らせることもないでしょう。
最後にオバデヤは「エサウの山地を裁くため、救い主たちがシオンの山に登る。そして王権はヤハウェのものになる。」という言葉で締めくくっています。実際にエサウの子孫が住んでいたエドムの地は荒廃させられました。住む人もいません。観光都市としてペトラの遺跡として有名にはなっています。
このように、神が一たび宣言した預言は、完全に成就します。初めから王権は神のものでした。それを拒否したので、人間の王たちが支配するようになったのです。人間は間違いますが、神は間違いません。神の完全な支配は、もう少し後代に成就するでしょう。