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横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 真理65

2024-06-17

皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「ヨエル書」の次は「アモス書」です。アモスは羊飼いでした。神から預言者として任命されたのです。
アモス7章15節に「ヤハウェは,羊の群れを追っていた私を呼び出しました。ヤハウェは、『私の民イスラエルに預言しに行きなさい』と言いました。」とあるとおりです。
神は、聖書をこのような羊飼いであっても、神を信じている人を用いるようです。アモスはそれを受け入れたわけですから、勇気があったのでしょう。アモスはイスラエル王国のヤラベアム王の時代に預言したことがアモス1章1節に書かれています。ですから西暦前8世紀頃と思われます。
アモス8章11節に「主権者である主ヤハウェは宣言する。『私がこの土地に飢饉を送り込む時が来る。パンの飢饉でも水の枯渇でもない。ヤハウェの言葉の飢饉である。』」とあります。当時、飢饉はありふれたことでした。でも、ここで神が言っているのは神の言葉の飢饉です。イスラエル民族は預言者の言葉を無視していたようです。それで、神からの警告の言葉に耳を傾けません。それは、食糧不足よりも深刻なことでした。真実を知ろうとしないと、真実は見えてきません。神の言葉も探そうとしなければ見つかりません。
そのような霊的な食糧不足が起きていたようです。そのために神はイスラエル民族を滅びに任せます。「私は生き残っている者たちを剣で殺す。誰一人逃げられない。逃げようとしても、逃げ切れない。 たとえ掘って墓に入り込んでも、私が手で引っ張り出す。たとえ天に上っても、私が引きずり下ろす。 たとえカルメルの山頂に隠れても、私が見つけ出して捕まえる。たとえ私の目を避けて海の底に隠れても、私が蛇に命じてかみつかせる。たとえ敵に捕らえられ、連れていかれても、私が剣に命じて殺させる。私は祝福ではなく災いをもたらすために目を向ける。」とアモス9章1~4節にあります。
これは、イエス・キリストの言葉である「私が地上に平和をもたらすために来たと考えてはなりません。平和ではなく、剣をもたらすために来ました。」(マタイ伝10章34節)に通じているように思います。アモス書では「祝福ではなく災いをもたらす」とありマタイ伝では「平和ではなく剣をもたらす」とあるのです。
さらに、アモス書9章は黙示録につながります。「地上の王、高官、軍司令官、裕福な者、強力な者、また全ての奴隷と自由民は、洞窟や山の岩間に身を隠した。 そして山と岩に向かってこう言い続ける。「われわれにかぶさってくれ。王座に座っている方の顔から、また子羊の憤りから,われわれを隠してくれ。 あの方々の憤りの大いなる日が来たからだ。誰が立っていられるだろうか。」(黙示録6章15~17節)神の裁きの日に逃げ惑う様子が描かれています。これは将来起きる事柄を描いているのです。神の真理を知ろうとしない人々は神の裁きの日に逃げられません。ですから、するべきことは一つしかありません。
神の真理を知り、それに従うことです。