真理60
2024-06-06
皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「エレミヤ書」の次は「哀歌」です。悲しみの歌ということで、旋律があったようです。この筆者もエレミヤと考えられます。エルサレムの滅びを間近に見た者でなければ書けないような内容です。「ああ、ヤハウェは怒りを起し、黒雲をもってシオンの娘をおおわれた。主はイスラエルの栄光を天から地に投げ落し、その怒りの日に、おのれの足台を心にとめられなかった。」(哀歌2章1節)シオンはエルサレム地方の別名です。神の怒りによってエルサレムは投げ落とされ、心にも留めなかった、とあるようにその住民の悪行によって当然の処罰を受けたことになります。
エレミヤは40年以上の期間に渡って、神からの警告を伝えていました。それでもエルサレムの住民は、そのことに気にも留めず、不正な事柄を行い続けたようです。それで、最終的にエルサレムを滅ぼすことを、神は決断したのでしょう。
「これはその預言者たちの罪のため、その祭司たちの不義のためであった。彼らは義人の血をその町の中に流した者である。」(哀歌4章13節)にあるように、偽の預言者がいて真の神の警告は無視していました。祭司たちも不義を行っていたようで、義人の血を流したようです。これはエレミヤのように真の神の言葉を守ろうとしていた人を傷つけたり殺したりしたのかもしれません。実際、エレミヤも死に値すると高官たちは偽りの告訴をしたようです。
これらのことも、イエス・キリストに当てはまるようです。イエスは当時の宗教指導者たちに向かって、「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は預言者たちの墓を建て,義人たちの記念の墓を飾りつけて,こう言うからです。『我々が父祖たちの日にいたなら,彼らと共に預言者たちの血にあずかる者とはならなかっただろう』と。それゆえあなた方は,自分が預言者たちを殺害した者たちの子であることを,自ら証ししているのです」(マタイ伝23章29~31節)と言っているのです。エレミヤの時代もイエスの時代も偽善者はいたようです。
それでも「哀歌」には希望の言葉もあります。「わたしは望みをいだく。ヤハウェのいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。」(哀歌3章21節)とあるように、滅ぼされたエルサレムにもエレミヤのように生き延びた人たちがいたようです。それで、真の神は、愛の神ですから、慈しみをもって憐れみを掛けてくれるのです。生き残った人々がやがてエルサレムを再建するということもできたのです。このことはネヘミヤの記録にあるとおりです。
神の基準は変わることがありません。不義を憎み、義を愛するということです。偽善者を許さず、義者を大切にするということです。我々も日々の生活で、不正なことを行うように圧力がかかることがあると思います。その時には正しいことを選択したいものです。
正しい判断ができるなら、安心して暮らすことができるでしょう。