真理57
2024-05-31
皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「伝道の書」の次は「雅歌」です。「雅歌」は「歌の中の最高の歌」という意味です。男女の恋愛の歌でもあります。登場人物はシュネムの娘、羊飼い、王、エルサレムの娘です。内容は、シュネムの娘は羊飼いの男性を愛しています。娘も美しい乙女のようです。それで王はシュネムの娘に言い寄ります。しかし、シュネムの娘は王の求愛に対して羊飼いへの揺るぎない愛を表明します。そしてエルサレムの娘たちに「愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。」と言います。
ここで、この雅歌の作者ですが、ソロモン王とされています。つまり妻を700人も持った王様から求愛されたことを書いているのです。普通、王様から求愛されれば、豪勢な生活が約束されるわけですから、一も二もなく受け入れるはずです。しかし、シュネムの娘は羊飼いへの絶えない愛を表すのです。ソロモン王が筆者とすれば、シュネムの娘に振られたわけですから、恥ずかしい内容です。それでも、この歌が聖書の正典になっていることを考えると、当然神がソロモンに書かせたことが判ります。
シュネムの娘は「愛は死のように強く」と言っています。羊飼いへの愛は誰も拒否できない死のようであるということで、死に至るまで揺るぎない愛を続ける気持ちを伝えています。
男女の恋愛の歌のように思われますが、羊飼いはイエス・キリストを示しているようです。そしてシュネムの娘はキリストに死ぬまで愛を持ち続けるクリスチャンを示しているのではないでしょうか?ここで王は、その愛を試すように現れる物質的な富の誘惑でしょうか?エルサレムの娘は、クリスチャンに見習いたいとあこがれている人々かもしれません。
羊飼いはシュネムの娘から見ると、とても麗しい人で、それ以外の人は眼中にありません。どんな誘惑があっても、キリストと一緒に居ることを望んでいます。一生をキリストに捧げる覚悟がありますから、どんな事があってもその愛を止めることができないのです。そしてシュネムの娘はエルサレムの娘たちに警告します。「愛の自から起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、覚ますこともしないように。」つまり、キリストへの愛は自発的なものであって、無理して愛そうとしたり覚まそうとすることではないと言っているのです。
これは、男女の恋愛でもそうかもしれません。愛情というのは感情ですから、金持ちだからとか高学歴だからとか名家だからとかで、起きるものではないようです。物質的なものはいずれなくなったり無価値になったりしますが、愛は育てることができます。
結婚は愛の始まりにしか過ぎないのではないでしょうか?結婚してから愛が育つような家庭であれば、夫婦も子供や孫も子孫も幸せを感じることができるでしょう。
聖書は、堅苦しい道徳の本ではないように思います。聖書は愛の本です。愛があれば、どんな時代になっても何とか乗り越えられるでしょう、シュネムの娘のように。