主な活動場所
横浜市鶴見区社会福祉協議会の
団体交流室

 真理45

2024-04-26

皆様、真理に精通しましょう。真理が貴方の未来を左右するからです。
「サムエル記第1」の次は「第2」ですが、ダビデ王の戦争の歴史となっています。ダビデ王は神から選ばれて油注がれた王でしたが、失敗もしています。大きな失敗の一つが不倫です。当時戦闘中であったのに、美しい人妻をみて、この女性を王宮に呼んで関係を結んでしまい、子供ができたのです。この不祥事を隠そうとして、人妻の夫を戦地から呼び戻して妻の家に行くようにしたりしますが失敗します。それで、この人妻の夫を激しい戦いの場に置き去りにするようにして夫を戦死させます。
このような、悪行をしたのですから、王といえども罪を償う必要があります。預言者ナタンを遣わし神からの叱責を伝えます。ダビデ王は素直に自分の非を認め罪を犯したことを明らかにします。これまでは、神に従ってきたダビデですが、権力を持つようになると自分で何でも思いどおりにすることができます。姦淫の罪はモーセの時代から罪とされてきたことです。イスラエル国民は皆知っているはずです。それでも、人は欲望に弱いもので法律があっても欲望に負けて罪を犯してしまうようです。
結果ですが、その姦淫によって生まれた子は死んでしまいます。その後、喪が明けてこの人妻をダビデは自分の妻にします。その後に生まれたのがソロモンです。人妻の名前はバテ・シェバです。イエス・キリストに繋がる家系ですが、このように人々の関係は色々あったとしても、アブラハム、ヤコブ、ユダ、ダビデの子孫と目に見えるようにして家系をつなげたのは神の配慮なのでしょう。
もう一つの失敗はイスラエル国民の人数を数えたことです。執政者は自分の民族を管理したいので人数を数えたくなるものです。特に戦時下であれば戦える戦士の数は重要です。しかし、ダビデの戦いは個人や民族によるものではなく、神が戦いを管理していました。神に従って行動すれば勝利を得ることができ、神に逆らうと敗れるのです。ですから、国民の人数を数えることは神の力を認めておらず、自分たちだけで王国を統治しているという思い上がりの象徴なのです。このため、神は疫病で7万人を失わせています。
神は愛であるのですが、当時は周りに多くの王から攻められ、異教の教えもありました。イスラエル王国を確立するためには、厳しい規範が必要でした。国王といえども例外はありません。神の掟に逆らえば不幸になること。神の指示に従わないような不信仰な王国を神は認めないということです。
ダビデ王の失敗は、我々にとって教訓になります。不道徳な生き方は不幸になる。神の掟は最終的に我々を益するものである、ということです。
「サムエル記第2」はダビデの活躍もありますし、ダビデとヨナタンの友情も描かれています。読み物としても波乱万丈です。執筆者はサムエルの名が使われていますが、すでに亡くなっているので、預言者ナタンかガドが記したとされています。いずれにしても神の精霊の働きで、「サムエル記第2」は書かれています。