敬愛主義9
2023-09-06
皆様、お元氣ですか?
敬愛主義は皆を幸せにします。人類が最終的にたどりつかなければならない形でしょう。敬愛主義は天のご意思とも思われる自然の豊かさを、無料で享受できるというあり方に倣い、我々も天のご意思のように他人を愛することを学びました。
大切な考え方ですし、本来の人間も動物も、そうした秩序ある世界を元々目指していたと思われます。それを近代の天のご意思である目に見える自然から学ぼうとせず、大脳皮質の論理的思考とやらで自然を偶然とみることで過ちを続けているのです。
なぜ、自然の状態や力や波動をまともに感じようとしないのでしょうか?それだけ現代が多くの情報によって真実が見えなくなっているからでしょう。
情報は確かに限りなくありますが、人間の脳は全ての情報を処理することはできません。ですから自分の興味のあることだけを種々選択して脳に情報を届けているのです。この自分の興味のある部分というのが大きな問題になるのです。人それぞれで興味の対象は違います。しかし、インターネット等の情報は、大衆が喜びそうな情報だけを膨大に垂れ流しているのです。ですから、知りたくない情報でも無理やり視聴させられたり、勝手にこんな情報が好きだろうとAIが判断して情報を見るように誘います。これでは脳がパンクしてしまいます。余力がないので、脳がまともな判断ができなくなってしまうのです。
皆様も、思ってもいなかった情報に頭が真っ白になって何も考えられなくなった経験がありませんか?ですから、常々、脳に余裕を持たせておかなくてはなりません。コンピューターが大量の情報でフリーズするように、我々の脳も余裕がないとフリーズしてしまいます。
ですから、1日に1回5分でも良いので、全く情報を入らないようにする工夫が必要です。それは瞑想でもよいので、情報を遮断する時間を取りましょう。脳が余裕のある状態であれば、冷静な判断ができたり、ある時にアイデアが沸いたりします。あの問題はあそこに相談してみようとか、この問題は、優先順位を決めて取り掛かろうとか、脳が勝手に働いてくれるのです。
かつて、縄文人は現代人の半分、つまり週3日働いて、週4日は自分のためや家族のための仕事をしたと言われています。現代はそこまで休めることはないと思いますが、利他的に生きるためには脳が余裕のある状態でないと難しいでしょう。でも、現代人でも余裕がある生き方をしている人はいます。そのような人は、「何とかなる」「ケセラセラ」「人にとっては良くないことでも自分にとってプラスにしよう」と楽観的な人です。
どんな事態が自分に起きても、どう解釈するかで心は変わります。コップの半分の水を「もう半分しかない」と「まだ半分もある」と解釈すると180度違ってきます。
これから、どんな時代になるかわかりませんが、敬愛主義でいけば「まだ半分もある」と楽観的に解釈できるでしょう。