敬愛主義2
2023-08-28
皆様、お元氣ですか?
敬愛主義は、ギブアンドギブです。自然は、本当に人のためにあるように感じます。朝起きるときに小鳥がささやくように鳴いてくれます。朝日が差し込んで起きましょうと言ってくれます。家族がいれば朝ごはんの支度をしてくれているかもしれません。自分ひとりだとしても、食物があれば頂けるでしょう。食物はお米だったり、卵だったり、みそ汁だったりするかもしれませんが、誰かが育てて届けてくれたわけです。現代人で自給自足している人はまれでしょう。それにしても、お米を作りだしたわけでもないし、鶏を生み出したわけでもないでしょう。
誰しもが自然の恵みで生きられるのです。このように自然のすばらしさ、偉大さが解ると感謝せずにはいられません。誰しもが頭をたれて、ありがとうと言うのです。自然は愛に満ちていると思いませんか?植物もみても、自分の子孫の元である果実を提供してくれます。動物も愛くるしい姿をみせてくれます。犬とか猫とか、そのしぐさだけでも愛したくなりますね。そして太陽の光、恵みの雨、緑の大地、豊かな海、吹き渡る風、そうした自然はまさに人間に最適な環境を提供していないでしょうか?
科学者は、そのようなことは全て偶然だと言います。果たして偶然にこのような自然が生み出されるものでしょうか?もし、地球の軌道が太陽に近づき過ぎると、海は干上がってしまうでしょう。太陽から遠いと氷の世界になってしまいます。また、地軸が23.4度傾いているおかげで、春夏秋冬が訪れ、毎季節違った環境になり、季節ごとの風情を感じることができます。しかも水の惑星で、水がなければあらゆる生命活動が難しくなったはずです。重力も1Gですが、これも生命活動にとっては大切で、重力が強すぎても弱すぎても上手くないわけです。こうしたことが偶然だけで起こりえないことは誰でもわかるはずですが、神や自然を軽んじる傾向があるために、人々は偶然と言い張ります。
宇宙の初めは何かについて、まだ明確な答えを科学は出していません。生命の起源も仮説でしかありません。
まずは、事実を確認しましょう。地球上の自然活動が、巧みに計算されつくした結果であり、生命が生まれるのに最適な空間があるということ。生命活動が活発で、このために子孫を生み出すことができていること。自然には動植物が適正な環境を維持できるようになっていること。
こうしたことが、偶然の産物と考えるのは、あまりに知恵がありません。最高の作品としての人間ですが、その人間を模倣しようとして、ロボットやAIを作ろうとしていますが、それが、あまりに困難であることを科学者は認識しています。人間の少しの動作を模倣することさえ中々実現できないのです。
であれば、人間が勝手に偶然に生まれたと考えることは、浅はかな考えではないでしょうか?人間も自然の一部として考えると、自然は何と素晴らしいのでしょう。