造形ガールズ

2016-09-22
瞳って、輝きを発するものなんだな。

岩田屋伊勢丹の最上階。
応接テーブルで向かい合った初対面の先輩の目を
驚きを持って見つめる私がいました。

とある造形短期大学2年生の夏、就職活動の一環で卒業生・S先輩を職場訪問。
学んできたことを活かせる楽しさ、実体験を重ねてできる成長、
それらがまぶしい笑顔で伝わってきました。
印刷会社と出版社で迷っていたリクルートの現実を
「この百貨店の販売促進部で働きたい」という夢に変えた出会いでした。

当時の岩田屋伊勢丹は、1階東側はすべて連結した大きなショーウィンドウで
辛島公園側入口をはさんだ角にもL字型にウィンドウがあり
バスターミナル側と地下にも小さなウィンドウがありました。
1階のウインドウ4面を貫いた恐竜のディスプレイや
ショーウィンドウの中をモデルさんが歩く水着のファッションショーなど数々の伝説を残しています。
今やアジアを舞台にご活躍中の美容集団「JARAN JARAN」のスタイリスト・T山真佐代さんはこのウィンドウ出身です(^^) 誇らしい☆☆☆

本日の熊日新聞に写真も掲載されていましたが
旧県民百貨店の建物の解体が終わり、一帯はほぼ更地になりました。
防護壁の向こうに最後まで残っていたのはこのウィンドウのあたり。

というわけで
熊本岩田屋~県民百貨店のウィンドウの写真を「アルバム」(ショーウィンドウvol.1、vol.2)のページにまとめました。
お時間のある方は、このブログのタブの隣にある「アルバム」からご笑覧ください。


おお〜〜!という声も聞こえてきそうな
前述のS先輩手描きの壁画。
従業員通用口からロッカーへ降りる階段の踊り場に描かれていましたね。

写真提供/S先輩と同期のT橋先輩。現在は東区の病院で介護のお仕事をされています。

S先輩の目の輝きに心動かされ、晴れて岩田屋伊勢丹に入社した私は
3年間売場で貴重な経験をさせていただいた後
これまた全身からキラキラオーラのビッグスマイル「カトちゃん」こと
旧姓K藤先輩の下で「(販売促進部)宣伝・装飾」のお仕事をさせていただきました。
携帯電話のない時代。閉店後のウィンドウ切替のときは分厚いガラスの内と外に分かれて
「マネキンもう少し右」「照明左に」「ウエストをフィットさせて」など
ジェスチャーでやりとり。
K藤先輩のOKの笑顔が出て 改めてウィンドウの外へ出て見ると
平面で見ていたプランが壁紙や布の質感をまとって空間となり
マネキンの目がいきいきと輝き始めたのを覚えています。

一方「岩田屋伊勢丹」から「熊本岩田屋」となり
福岡・岩田屋本店に出向していたS先輩からは
世界の流行の最先端から落とし込まれた「岩田屋グループ」のファッションテーマをダイレクトに受ける刺激的な日々。

S先輩が開発に携わったキャップ付ショッピングバッグは「キャパック」という名前で岩田屋グループのオリジナル性を発揮し、熊本岩田屋のウィンドウにも度々登場しました。

先輩方が退社され、無我夢中でウィンドウ担当として取り組んだ熊本岩田屋時代。
世界の流行の最先端を自分なりに噛み砕いて反芻してかなり我流に解釈していた小娘の話を
きちんと受け留めてプランニングしてくださったプロの皆様ありがとうございましたm(__)m
この場を借りて御礼申し上げます。


この他にもたくさん、写真があったのですが…
もし、手元にある方、送ってくださーい('◇')ゞ


2014年8月18日熊日夕刊掲載 県民百貨店「一生青春」シリーズ150

※クリックすると 読めるかも?

ここで、もうひとり”瞳が輝きを発する”造形ガールをご紹介しておきましょう。
県民百貨店で「一生青春」シリーズの終盤~締めくくりを担当してくれたU住さん。
数年前、面接という形での出会いだったのですが
「夢は何ですか?」という私の問いに
「描(えが)くことを生業にすることです」とこぼれそうな瞳で答えた彼女。
とある造形大学を卒業後、京都で染織の仕事の傍ら、絵を描いたりモノ作りを続けてきたそうです。
ご縁があって県民百貨店で一緒にお仕事させていただきました。

この夏、U住さんはいよいよ夢の実現に向けて「小さな面積で色を楽しむ」をテーマに
”汎(HAN)”というブランド名で作家活動をスタート!
ピアスやヘアアクセサリー、雑貨を中心に一歩一歩目標に向かっておられるご様子。


彩遊びが楽しいピアス。
自由な発想で色々と作って欲しくなります♡


桜町の百貨店を舞台に研鑽を積んだ造形ガールズ。
これからもどんどん活躍の場が拡がりそうな、無限の可能性を感じずにはいられません(^^)♪